自意識のかたまり

女子大生の備忘録

自意識の塊。


これを以って得したことが一体いくつあるんだろう。


私はどうしようもない不細工で、決して美しい造形をもって生まれてきたとは言えないつくりをしている。

顔の各パーツもちろん、頭の大きさ、脚の形、体質。手も指も、鼻も、歯並びも、何もかもが気に入らない。


人は、「可愛いの定義なんて人によって違うからね」と言ってくれる。

その言葉を聞いた時は、一番正しいフォローの仕方だなぁと、つくづく感心したものだ。


確かに

私は醜形であるがために一生恋愛などすることはできないだろうと思っていたけれど、

大学生になりコミュニケーション力が付いて顔を正面に向けるようになってからは、私を恋愛対象として見る人が全くいないわけではないことに気がついた。


その定義は間違っていないのかもしれない。

もしかして私の姿形を受け入れてくれる人が、いないわけではないのかもしれない。


などと思うようになった。



自分の姿形がどうというのではなく、自分の姿形に満足しなかった自分の思考を原因の一つとして、結果的に社会的クズとなったと言わざるを得ないと思う。


私は自分の姿形が良いものではないからあれが出来ないこれが出来ないと言いたいわけではない。と、思っている(笑)

しかし実際は思っているのではなくて、その現実を認めたくないだけ。そうだろう。客観的に見れば何ら変わらない。


なぜなら私は非常に幸せ者であるからである。


私は自分が非常に幸せ者であることを自覚している。(というより、自分のことを幸せ者だと自覚しなければ、多くの人から糾弾されると思うから自覚しているだけかもしれないが、実際自分が幸せ者であることは認識している。)


五体満足に生まれ、私を受け入れてくれ金銭面で苦労をさせないようにと配慮してくれる両親の元に生まれ(私がその恩を仇で返している形である)、花粉症も最近まで発症せず、大きな病気もせず、ある意味自然がいっぱいの田舎で育ち、こうして大学という学びの場に来させて貰え、社会的な猶予期間を頂けた。


何の不満があるのか。

アホじゃねぇか。



突然だが私の心の拠り所は、新鮮感、である。

知らないことを知ること(理系分野の横文字は苦手で興味のある分野に限られてしまうが)、新しいことに挑戦することが、自分を生き生きとさせる気がする。


何でもかんでも手を出すし、ダメと言われたことは余計やってみたくなる。その結果がこれである。


今からバイト。がんばろう。